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社会不適合な「みならい脚本家」川崎雄斗の心理学的ライフハックブログ

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自ら命を絶つ直前までいって、初めて知ったこと。

記事を書いた人:Yuto あとで読む

すーっと、気が付いたらホームに入ってくる電車に体が吸い込まれている。特に何も意識していない。自ら命を絶とうなんて、考えた事もなかった。

 

でも、吸い込まれるのだ。

 

意識とは無関係に引き込まれるのだ。

 

悲しくもない。虚しさもない。ただ、気が付いたら吸い込まれているのだ。

 

電通の新入社員「高橋まつり」さんのニュースをみて、そんな事を思い出した。事情は全く違う。けれど、思い出さずにはいられなかった。

 

「ただいま、人身事故の影響のため、電車が遅れております。ご迷惑をおかけして誠に申し訳ございません」

 

ざわつくホーム。舌打ちが鳴った。高級そうなネイビースーツ、キャメル色の革に縁取りされたイタリア製ブランドの男性からは、頭がいら立ちを認識するより早く単語が喉を通って出てくる。

 

「なんだ、またかよ」

 

矢継ぎ早にiPhoneを取り出し、お得意先への連絡を欠かさない様子をみるに一流のセールスマンなんだろう。

 

「もしもし、恐れ入ります。ただ今、人身事故で電車が止まっていまして、恐らく到着するのが30分以上遅れるかと思います。あ、はい。大変申し訳ございません。ありがとうございます。はい、それではまたご連絡差し上げます。失礼致します」

 

「あー、もう最悪...あのテレビ始まっちゃうじゃん!」

「私は、ちゃんと録画してきたもんねー。」

「えー、でもあれ面白い?」

 

女子高生たちは通常運転だ。当たり前だ。自分にとっては全く持って関わりがない。今までもなければ、これからは一切ない。仮に、どこかで親族と出会ったとしても、その時自分がその場にいた事など覚えているはずがない。

 

自ら命を絶つ人数は、年間3万人とも18万人とも言われている。どうやら、遺書の有無など基準によってカウント方法が異なるようだ。

 

一日約90人なのだから、こんなのは、日常茶飯事。まぎれもなく。隠しようもない。日常だから覚えていなくて当然だ。

 

僕は、人身事故が嫌いだ。

 

助けられなかった。

 

そんな理由じゃない。ただ、こうやった声を聴くのが嫌なだけ。夏の蚊がぶーんと耳の周りを飛んでるみたいに、聴きたくなくても入ってくる。耳を塞いでも心にハリが刺されたみたいに感触が残る。

 

まさか、自分があと一歩のところであちら側に行くことになるとは考えた事もなかった。

 

僕は昔から、人が自ら命を絶つことは貴い事だと思って生きてきた。それは今でも変わらない。僕にはできない。子どもの頃、おじいちゃんを亡くしてから、死んだときの事を考えるようになった。

 

・今、死んだら何人が葬式に来てくれる?

・母は父は泣いてくれるかな。友達は?

・ざまぁみろと笑う人は何人くらいだろう。

 

そうやって、考えているとふっと後ろに誰かがたって、準備ができたら運んで行かれそうなな感覚になる。そこで、本当の恐怖を知って戻ってくるのだ。

 

それほど、勇気のいる決断。

 

だからこそ、自分でそう言った決断ができた人に、僕は言葉を選ばず言えば尊敬の念を覚えているんだと思う。

 

そんな自分だからこそ、自分で命を絶つことは絶対にないと思っていた。でも、磁石みたいに吸い込まれていく自分を経験した時、考えが少しだけ変わった。いや、追加された方が正しい。

 

きっと、結果的に「自ら命を絶った」となるには2種類あると思っている。

 

1つは、意思をもって自分で命を絶つこと。 もう一つは、気が付いたらそうなっていたこと。

 

ただ、種類は2つあったしても原因は同じところに行きつくのではないか。

 

逃げたらいい。

どんな原因だったとしても、逃げたらいい。

その通りなのだが、それが難しい。

 

何が難しいかといえば、自分が逃げなきゃ行けないことに。自分の限界に。気が付けないからだ。気が付いたとしても、何かが逃げることを阻害する。

 

何かというのは、誰かじゃない。何かだ。自分の中にある何か。

 

社会的責任、組織の中の1個人の役割、道義、家族を養わなければと思う責任、将来への不安、恥。

 

当時の僕はと言えば、とある団体の代表をしていた。頑張っているのに、上手くいかない。他の大学の代表たちが成果をあげる中、自分だけが上手くいっていない。

 

毎日、本を読んだ。 毎日、誰よりも働いた。 毎日、誰よりも組織のために時間を割いた。

 

でも、 うまくいかない。

 

ただ、同情してもらっては困る。すべては自己責任だ。自分がチームのメンバーに対してやってたことを考えると、こんなのどうってことは無い。

 

と、今なら言える。

 

でも、当時はそんな風に思えなかった。自分に限界が来ていることなんて、分からなかった。ただ、もっとやらないと組織がダメになる。

 

いや、ダメな自分を見たくない。

「ダメ」の烙印をおされたくない。

 

 

そう思っていた矢先だ。 ホームに電車が入ってきたのは。

 

「今度は、これを工夫してみよう」

「チームメンバーをご飯に誘ってみよう」

「もしかしたら、こうすればうまくいく?」 そんなポジティブな考えとは裏腹に、体は電車に引き寄せられていた。

 

たぶん、「逃げたい」と思っている人は多い。

 

でも、実際に逃げられる人は少ない。

 

僕の心の中に棲んでいたのは、中学校の時の記憶。仲間はずれになることへの恐怖の記憶だ。

 

仲間外れになる事は、物理的にせよ精神的にせよ、誰もが一度は経験したことがあるだろう。

 

逃げられないのは、その時の記憶のせいではなかろうか。

 

大げさかもしれないが、「自分がいい子にしておかないと、生きられない」ことを子供は子供ながらに学ぶ。洗脳されるともいえるかもしれない。

 

・「宿題をやりなさい」と、言う家族に対して

・「いじめらた心当たりは?」と、聞いてくる先生

・ちょっとした理由で、いじめが始まる教室

 

まさに、人生の縮図だ。何も変わらない。だから、上司に「しんどくない?」と聞かれても、笑顔で「大丈夫ですよ」と答える。家族にも心配はかけられない。そうゆう思いが積み重なって、自分でも何が何だか分からなくなったとき暗いホームを照らすライトと共に電車がやってくる。

 

逃げる手段はいくらだってあるーおわりにー

この記事を誰に向けて書いたの?と、聞かれれば、たぶん頑張っているあなただ。気が付いたときにはもう、心がすり減っているなんてことはざらにある。

 

けれど、どれだけ過労で亡くなるニュースを見ても自分が当事者になると思っている人はまずいないと思う。 でも、気が付いたら、命が亡くなってる事ってあるんだよ。

 

その原因は、たぶん目。色んな目。僕の場合は。

 

仕事を辞めて食っていけるかが心配。将来いきれないから「いま」頑張る。という気持ちはすごくわかる。身近にいるんだもの、そうゆって頑張ってる大切な人が。 でも、生きていけるよ。

 

いつまでだって生きていける。

 

田舎に暮らせば、固定費は5万とかになる。

普通の会社なら、1年働いてから辞めたら、失業保険が出る。

 

もし、出なかったとしても「求職者支援制度」がある。これは、失業手当を貰えない人が退職後、月10万程をもらいながら3~6ヶ月にわたってPCスキルなどの授業を受けることができる制度。

 

やり方は色々ある。最悪僕みたいなフリーランスの人って仕事を割り振ったりもできるわけだしね。

 

自分は大丈夫。って思っていても、吸い込まれる事ってあるからそれだけでも知ってもらえたら、嬉しいかな。